異形の大国 中国 ~彼らに心を許してはならない~ 2009.2.11の日記
2009年 02月 11日
最近、図書館をよく利用します。読みたい本を全部買っていたら、お金が追いつかないためですが、箕面市には図書館が6つもあり、インターネットで読みたい本を登録すると、一番近い図書館まで持ってきてくれます。それら図書館も市の財政難のため、整理・統合されるみたいですが、それでも結構充実しているように思います。
今日のタイトルは、本の題名です。「中国という隣国の存在は、天が日本に与え給うた艱難である。それを乗り越える第一歩は、その真の姿を認識することから始まる。」というプロローグに始まる、櫻井よしこ著のモノで、昨年の夏、図書館で購読希望をし、漸く借りることが出来ました。
著者の中国論が1冊の本に集約されており、大変勉強になりました。読み終わって、”これは購入して家に置いておこう。”と、思う本でした。中国批判の本を読んだ際は、中国擁護というか、日本批判の本も読まなければと思うのですが、どの本を読んで良いのか分かりません。今度調べてみます。
僕は、著者を圧倒的に支持しているのですが、歴史という膨大な出来事を処理する情報・集約力もないので、著者の歴史観が本当に正しいかは分かりません。ただし、中国の日本に対する一連の行動を見ていて、著者を支持しているだけです。
中国の機嫌をとる?ため、日本の総理大臣が終戦記念日の靖国参拝を辞退したり、また何度も日本が過去の反省・謝罪をしても、以下の点から中国との真の友好はあり得ないと思っています。
戦略的互恵関係と政府が言ってるだけあって、大半の方も同じように認識していると思います。文化・習慣が余りにも違いすぎるのです。あくまで僕の偏った意見ですが、決定的な文化・習慣の違いを示します。
・日本には、
「水に流す」、つまり(他人の罪などを)忘れることを美徳する習慣がある。「花は桜木、人は武士」という言葉、意味として「桜は散り際が美しいもの、武士もまた潔く死に際が潔いもの」、では「潔さ」を謳っている。
・逆に中国では、
1回(失敗、罪などを)認めたら、過去・未来全てが悪いと見なす習慣がある。そのため「死不認錯」という言葉がある。これは「死んでも謝らない」という意味である。
最近では、毒入り餃子なんて良い例で、日本・中国どちらにも該当しますよね。
おわり。
今日のタイトルは、本の題名です。「中国という隣国の存在は、天が日本に与え給うた艱難である。それを乗り越える第一歩は、その真の姿を認識することから始まる。」というプロローグに始まる、櫻井よしこ著のモノで、昨年の夏、図書館で購読希望をし、漸く借りることが出来ました。
著者の中国論が1冊の本に集約されており、大変勉強になりました。読み終わって、”これは購入して家に置いておこう。”と、思う本でした。中国批判の本を読んだ際は、中国擁護というか、日本批判の本も読まなければと思うのですが、どの本を読んで良いのか分かりません。今度調べてみます。
僕は、著者を圧倒的に支持しているのですが、歴史という膨大な出来事を処理する情報・集約力もないので、著者の歴史観が本当に正しいかは分かりません。ただし、中国の日本に対する一連の行動を見ていて、著者を支持しているだけです。
中国の機嫌をとる?ため、日本の総理大臣が終戦記念日の靖国参拝を辞退したり、また何度も日本が過去の反省・謝罪をしても、以下の点から中国との真の友好はあり得ないと思っています。
戦略的互恵関係と政府が言ってるだけあって、大半の方も同じように認識していると思います。文化・習慣が余りにも違いすぎるのです。あくまで僕の偏った意見ですが、決定的な文化・習慣の違いを示します。
・日本には、
「水に流す」、つまり(他人の罪などを)忘れることを美徳する習慣がある。「花は桜木、人は武士」という言葉、意味として「桜は散り際が美しいもの、武士もまた潔く死に際が潔いもの」、では「潔さ」を謳っている。
・逆に中国では、
1回(失敗、罪などを)認めたら、過去・未来全てが悪いと見なす習慣がある。そのため「死不認錯」という言葉がある。これは「死んでも謝らない」という意味である。
最近では、毒入り餃子なんて良い例で、日本・中国どちらにも該当しますよね。
おわり。
by mkissm98
| 2009-02-11 17:26
| ひとりごと